せいかく

正確な性格なんて自分じゃわからない。

職場の人が性格の16タイプ診断の話をしてくれて、一年ごとに診断しては自分の性格の変化を喜ぶのだという。ぼくも以前やったことがあったので、変化があるかも……と期待して診断するとタイプは変わっていなかった。ただ、内向的か外向的か?を示すグラフのパーセンテージは恐らく変わっているのだと思う。細かい部分の変化だけ。最近少し性格に変化があったと自覚していた分、ちょっとがっかりしたけれど、ENFPのタイプを読んで改めて納得してしまったからよしとする。ENFPは性別を問わず人が大好きで、自由が好きで、人が集まるからリーダー的立場に置かれやすいが、実は不向きだったりする……などなど、自分に当てはまるところばかり。大学で部長をこなして、本当にリーダーには向いてないなぁと思った。実は今、仕事でそういうちょっとした上の立場になるかならないかの話が出ているのだが、8割方断るつもりだ。色んな人が「なればいいのに!」と背中を押してくれて、それは有難いのだけど首を縦に振れない。まあリーダー向きじゃない以外にも断る理由はあるのだけど、この辺はまたいつかエッセイにでもまとめたいと思っている。

ENFPの話に戻ろうと思ったけど、字を書くのが面倒なのでもうやめようかと思う。これも立派な変化だ。どんどん字を書かなくなって、創作者としてしんでいってる。エッセイも書けないかもしれない。でも別に悲しいことではない。ごくごく普通に生活していく中で、創作が必要なくなったという、ただそれだけの話。これについても気力があったら、頑張って書きたい。

れきし

人間関係の歴史を聞くということ。〇〇くんと〇〇くんは合わない。〇〇さんと〇〇さんは仲が良かったけど、今はそうでもない。昔はA.Bのグループで派閥があった。などなど。文芸部にいた頃を思い出す。しょうもない人間関係のいざこざ。でもそれも笑い話になる。人間とはなんて愉快な生き物なのでしょう。皮肉じゃありません。

 

職場にも人間の歴史があって、ぼくはつい必要以上に前のめりに聞きたくなってしまう。人間が知りたくてたまらないのだ。少し前まで人間が怖いなんて心内で唱えていたぼくは死に、人懐っこいスタミナお化けなぼくが帰還したのだ。当時は大学一年、バイトもサークルも全力投球で回していたあの頃と変わらないくらいのスタミナを手に入れている。後々、この時に頑張りすぎたと思っていたがそれは間違いで、この頑張りすぎな時期に溜め込んだ「我慢」が良くなかった。我慢はある程度必要だけど、言いたいことやりたいことを溜め込みすぎない方がいいことに気づけている。

今の周りの環境はほぼ理想に近いのだと思う。もちろん、反省すべき点、取捨選択を間違うこともありありなのだけど、少し振り返って自分を見つめて自分を防衛する。これが出来れば続けて元気でいられる。もう今月で24になる。自分の身は自分で守らなきゃ!

書きたいことが多すぎて、今日の記事はまとまらなさすぎる。元々は「れきし」というタイトルで前半部を書き溜めていたけれど、他にも100個くらいのエピソードを書きたくて、筆があちこちに飛んでいく。こう書くうちにまた日付が変わる。日常という歴史の更新。そして書きたい話が増える。でもまとまらないって幸せだ。変化のある日常を送っているからこそ、書きたいことが増えていくのだから。

出会いの季節

恋愛的な意味ではなく、出会いがどんどん増えている。人間のメモという題で最近会った人をブログにまとめようかと思ったけどやめた。20人ぐらい会ってるし、数人で1000字に到達したので。これでもカットしたつもり……。

 

とても可愛い人や、ばかみたいにチャラい人、ヤンキー風の人、年下の人、年上の人、近所の人、頭がいい人、気が遣える人、話しやすい人……。それぞれ特徴があって人間って面白い。久々に人間って面白いと思えている。最近ずっと人間が怖くてたまらなかったし、出会いが増えるたびにストレスだったのに、今はわくわくできている。良好な精神状態の中、仕事ができて、生活ができて、本当の意味で春が来ている。やっぱり暖かくなると元気になるらしい。なんでだろうね。四季があるって素晴らしいけど、春や秋ぐらい冬は短くてもいいんだよ。なんなら春に分けてやってくれ。クリスマスと正月が終わったら、気温は20度前後でしばらく固定して貰えないかな。

 

それからもし今後、今の時期のエッセイを書くとすれば、楽しくてたまらないだろうな。エッセイをなるべく正確に書くために簡単な日記をつけている。きっと今時期に到達するまでは、闇のエッセイになるだろう。でも書きたいな。人生にとって意味のあるエッセイになると思っている。高校のエッセイも早く書かなきゃな

向き不向きなんて、もしかしたら一生わからないかもしれない。

 

仕事には向き不向きがある。どこにでも書いてある、どこにでも耳にする言葉だ。今これを読んでいる方が仕事やアルバイト、学生なら部活でもいい。それが自分に向いていると思いますか?なんだか自己啓発本を書いている人が講演会の最初で言うような言葉をつらつらと書いてしまいましたが、ぼくの自己啓発本を参考に人生を組み立てるなら、あらあら不思議、おそらく「破滅」に向かいます。『破滅に向かう人生設計』ってタイトルで自己啓発本出したろかな。地味に需要ありそう。割と読みたい。

 

まあ仕事の向き不向きってわかんないですよね。って話です。今ぼくが23年間生きてきて得た情報としては、

・人と話すことは好きだけど、接客が得意なわけではない(ガチガチの店員×客みたいな関係性が超苦手)

・同性の年上は苦手、年下は性別問わず離れてると難しい

・最初からテキパキした動きは絶対できないし、基本スロー

・ノルマが求められる仕事は向いてない

・創造性、想像性を求められる仕事は比較的できる

・チームワークが得意なわけではない

 

この辺りです。高校大学で部活の部長をやっていた人がチームワークが得意なわけではないってウケますよね。でもぼくは得意じゃないです。押し出されるような形で、消去法で決まったところがあると思います。まあリーダータイプの人についていくのも苦手なんですけどね。究極のマイペース型です。とにかく人のペースに合わせるのがストレスってことですね。じゃあ合わせて欲しいのかって言われると、首を縦に振りづらい。各々のペースでやって、たまたまペースが合えばそれが最高です。

 

あと同性の年上!めちゃくちゃ難しい。大体印象を誤解されるんですよね。人に印象を誤解されることって結構ストレス。理解してくれとは思わないけどレッテルはあまり貼られたくないというか、、明らかに自分とはかけ離れたレッテル貼られることもしばしばあるので。まあぼくが悪いんですけどね。隅っこでぶるぶる震えているような性格の時もあれば、人前に立って明るく振る舞える時もあれば、何を考えてるか分からない不思議ちゃんにも見られる。こういうカテゴリに入ると、その人の前ではそのカテゴリの人にならなきゃ!って思うのがストレスなんでしょうね。

 

23年経って、全盛期に比べてどんどん喋らなくなっているぼくですが、これが落ち着くってことかもしれません。喋りすぎるのってデメリットしかないんですよね。最近、ついに聞き上手と言われるようになりました。高校のぼくからは想像できないです。聞き上手でもなんでもない、話したくないだけなんです。おしゃべりは怖い。こうやって人はコミュニティを狭くしていくんでしょうね。

 

なんか知らんけど暗い話になっちゃいましたが、ぼくは最近結構元気です!!

ワニワニパニック

 

 タイトルは関係あるようで関係ない。大学時(文芸部時)のエッセイを書いて、いつか高校のエッセイを完結させる。それから次に書くのは間違いなく文芸部を辞めた後の、創作垢を消した後のぼくだろう。基本鬱々としているが、急にドンと幸が来たりする空白の何年間かを書きたい。でもきっと今はそのエッセイのちょうど中盤。きっと見応えのあるところ。ぼくはこの1年間を振り返った時に、「地獄だったけど経験してよかった1年」にしたい。浮き沈みが元々激しい人生だけど、ここ最近は振り回されまくっている。でも嘘偽りなく、生の気持ちを綴りたい。そのためにも日記を書く。いつか誰かに見せるための日記を。

恋愛はタイミングです改めて

 何かに夢中で仕方ない時に他人から好意を寄せられるのではないだろうか?ぼくは大抵それを後から知るのだが、ぼくに限らず、あるあるなのではないだろうか?

 

 昨日更新したブログにも書いたが、ぼくが好きだった人は、ぼくが好きになるよりもっと前にぼくを好きだったらしい。あまりにも切ない。思い返せば通話中に「好きな人に好かれるなんて奇跡的ですよね」なんて言っていたけれど、その奇跡起きてるやないかい。タイミングずれてたけど。

 

 ぼくのことを好いてくれていた時期ーーつまりは大学3年の春頃になる。途中からほとんどぼく目当てで部活に来ていたと言うのだから恥ずかしい。じゃあ当の本人はそんな!可愛い子が!切ない恋心を燻らせている時に!何をしていたのか!と思うのだが、こちらも他人の深層心理まで見通すほどの余裕はなかった。

 まず部活が恐ろしいほど楽しくて充実していた。以前書いた10万字のエッセイに詳しく書いたが、新入生を入れるにあたって「女子部員の確保を!」と燃えていたし、害悪な(笑)先輩たちもさよならしていたので、とにかくチーム一体となって頑張っていた感じだ。恋愛方面でいうと、ほぼ終わりかけの関係性がめちゃくちゃな彼女がいた。彼女は2月頃に別れるか、別れないか、という話まで迫っていたが、結局ぼくは別れない選択肢をとった。もしここで、別れる選択肢を取っていたらーーいや、考えまい。ワンチャン4月から奥ゆかしい恋心にちゃんと気づけてお互いの好きを高め合いながら、本物の青春を掴みに行ったことなんて、ただのタラレバである。考えまい、考えまい。とにもかくにも、彼女との不安定な関係性に頭を悩ませつつ、部活の楽しさに逃避するような生活だったわけで。まさか新入部員の女の子から好かれているなんて夢にも思わなかった。ちなみにとても有難い話なのだが、ぼくは何度か女性に好意を寄せてもらったことがある。そのほとんどを気づかずに後で知る。

 人間は、何かに夢中な人に惹かれやすいのかも。ぼくもやっぱり頑張っている人は魅力的に映る。これを読んでいる諸君、モテたいのなら何かに夢中になれば割とモテるかもしれないぞ。ただ簡単に夢中になれるものなんて見つからない。あー、そんなのどうでもいい、考えれば考えるほどなぜあの時点で好意に気づかないんだ、気づいても意味ないか……なんて切ない。むしろ気づいていたら後々好きになっていないかもしれない。誰にも分からないな。

 好きになってくれたきっかけも一応聞いた。その日のことはよく覚えてる。帰りの電車の方面が同じだったことを知って、一緒に帰ったのだ。最初は吊り革を持って立っていたけれど、ふたり分の席が空いたので素早く確保。これが3年間で培ってきた席取りゲームの成果じゃよ。さぁ、ついてきているよな?座りたまえと隣を見るといない。なんと吊り革を持ったまま立っているではないか。うーん、どうしたものかと一瞬悩んだが、

 ーー隣座らないの?

 とLINEを送ってみた。

 ーー隣に座っても良いんですか?笑

 と来たけれど、多分あんまり男性の横に座りたくないんだろうな、ちょっとつら……と思いながらも「全然いいよ!」と返事。今思えばただ男性慣れしていないだけなのだけど、当時は座りたくなかったんだろうなーなんて考えていた。まあそれでも楽しく会話したら次も座ってくれるだろう、と安直な考えで会話を続けた記憶はある。一方で相手はそれがきっかけで気になり始めたという。恋の始まりは分からない。認めてもらえてる!という嬉しさに近かったのかもしれない。彼女は陰キャって感じではないのだが、わりかし控えめで(男性に)人見知りはするタイプだから、積極的に来てくれる人は嬉しいのだろう。気持ちは分からんでもない。彼女は自分の恋心を自覚しつつ「え?はやくね?」という困惑があったという。部活の先輩だからかっこよく見えているのかも、と周りを見渡してみたが、ぼく以外は特に何も感じなかったらしい。君を好きだった時期のぼくに言ってあげてくれ。今でも喜ぶが、喜び度合いが違うだろう。ドン引くくらいに。引かれたら意味ないか。

 春だからか知らんが、最近妙にモテ期だったりする。人生でモテ期は2回だか3回だか訪れるらしい。そういえば大学生はモテなかったなぁとも思ったが、今思い返せば多分そんなことない。高校は実は全然モテなかった(はず)。中学生くらいにも一回モテ期があったので、多分もう最後のモテ期だろう。これを逃せば次はない。しかし今!好きな人はいない!ダメだこりゃ。出会いはあるようなないような、ないような、ないような。でもなんだか妙にモテるのだ。あんまり関係性が濃くない人からモテるので、気持ちには全く応えられないけど。

 好きだった子がぼくに遠慮するきっかけになったのは、付き合っていた子がいたのもあるが、もう一人部員で仲の良い女の子がいたのも要因らしい。確かに仲良かった。スーパーウルトラ仲良かった。側から見れば付き合っているようにしか見えない、はたまた肉体関係だけの歪な感じなのか、と誤解一歩手前の認識をされそうになるほどだった。どちらも一切ない。その子はぼく以外とはほぼ喋らないので、まあ誤解するのも仕方ない。友達とこの子について考察していたが、「とても自惚れるならこの子がぼくのことを好いていた時期があったのかも?」と言うと「あったやろ」と言われた。うーん、まあ、あったかも。あったかもなぁ。Twitterではよく「あざといちゃん」という名前で彼女とのエピソードを呟いていたけれど、本当に面白い子だった。でもぼく的には付き合うとかはなかったな、どうしても。

 こうやって過去の恋愛を振り返るいい時期なのかもしれない。3月は別れの季節だ。そして出会いの季節がやってくる。例年通り、冬は病んでいたが、なんだか気持ちが上昇してきている。暖かくなってきたからだろう。甘やかな過去の記憶に元気を貰いながら、生活を送る。そして謎のモテ期を逃さない!と言いつつ、恋愛が出来ていない。はぁ、そろそろ恋愛がしたい。恋愛は辛く苦しくそしてとても楽しい。思い返しても楽しい。今みたいに数年後に元気を分けてもらえるかもしれない。恋愛がしたい。夢中になることは小説じゃなくて、恋愛でもいいもの。まあ小説もやる気あるんだけど笑

 

春といえば恋

 

 大学時代、どうしようもなく好きになってしまった女の子がいて、恋を自覚したその日からぼくなりの精一杯のアピールを繰り広げていた。しかし彼女は興味の素振りも見せてはくれず、恋は完敗に終わって腐り果てていた。

 

 時は進み、大学卒業からもう一年が経とうとしている。卒業式でしばらく会えないかもね、と言っていた友達には卒業後にすぐ会ったが、別れの言葉を交わせなかった面々には全く会えずじまいのまま。

 ぼくは暇だからという理由で(他にもきっかけはあったがややこしいので省略)当時好きだった子に電話をかけてみた。

 ワンコール、ツーコール、出ない。

 10分後には「お風呂入ってました!」と「どうかなさいましたか?」の丁寧なメッセージが。でもぼくは知っている。こちらが暇だからかけてみた!久々に話そうよ!と返しても、「すみません、寝てました!」「最近忙しいので落ち着いたらまた笑」のような言葉のコンボで悠々かわされることを。恋愛を拗らせているぼくは、この手の塩対応にショックを受けつつも甘やかな幸せを感じたりする。釣れない感じが良いんだよなぁなんて。本当に思っているのかは自分でもよくわからない。

 だから、

 

ーーいいですね、久しぶりにお話したいです!

 

 というメッセージが返ってきたのを見た時は一瞬ひっくり返りそうになった。心臓の若干の高鳴りを抑えつつ、返事もせずに電話をワンコール。

 

「もしもし」

 

 を互いにこぼすと、懐かしさから自然と笑顔が生まれ、話が弾む。お互いの近況を報告したり、一緒だったサークルの話をしたり。それから恋愛の話に徐々に移っていく。

 

 ふと、彼女は言った。

 

「私は今付き合ってる人がいるんですけどーー」

 

 ぐっと重力ののしかかるようなショックを受けつつも、なんとか耐え凌ぎ、「あ、いいじゃん!」の明るい声を絞り出した。何年経っても、昔好きだった人に恋人ができるという事実はショックらしい。可愛らしい人だから、別に、全然、当たり前のことなんだけど。むしろ「今付き合ってる人で2人目の彼氏なんです」って言われたことに「え?」と困惑する。こんなにも魅力的なのに。いや、この子が断ってるだけか。

 

 一方的にショックを受けるのも何だし、ぼくは切り札を出してみた。よく成人式の後に聞くあれだ、「俺昔お前のことが好きだったんだぜ」ってやつだ。これをマイルドな言語にして彼女に投げつけると、「え?」と急に大きな声を出して困惑した。眠そうにしてたからってのもある。ぼくにとっては夢のような夜、まだ終わらせないですよ。

「先輩が私のこと……」

「そうそう、気づかなかったでしょ」

「ぜんぜん」

「だよね。俺のこともただの先輩としてしか見てなかったよね」

「はい。先輩でした」

 だよね、と笑みが溢れた。告白からの玉砕を食らわなかった安堵感もあったと思う。「あ、でも」と安堵を遮る可愛い声。「なに?」

 

「先輩のこと気になってた時期はありました」

 

 え?とおうむ返しに声が出て、布団の上なのに椅子から転げ落ちた気持ちだった。え、ぼくのこと好きだったの?え?「いつ?」「大学入って最初の頃です」あー、彼女いた時期。なるほど。「うわ〜気づいてやれなかった、ごめん」「いいんです」

 

 それから密かなアピールをしていた事実を言って、聞かされて、ああタイミングなんだな恋愛は。という結論に二人で至った。恋愛はタイミングが命。ぼくが好きだった時期に告白しても彼女は応えなかっただろうし、逆も然りだ。なんて難しい。強いて言うなら、もうその時期は彼女との関係性は地に落ちていたので、早めに別れるなどしていれば別の世界線があり得たかもしれない。言っても仕方ないのだけど。

 

 ただ、元気をもらえた。好きな人がぼくを好いてくれた時期があったという事実。自己肯定感が上がる。こんなぼくでも認めてくれる、素敵な人がいるんだなって。明日からまた絶望の1日が始まろうとしている。でも、なんとかなるんじゃないかなって思い始めている。「おやすみなさい」のやりとりだけで、もう1ヶ月はやり過ごせる。

 

 それから恋愛がしたい。